この辺で、中学時代を締めくくることにして、最後に記憶にある成績を書いておきます。
個人戦
中3で県大会(段別選手権)中学生の部 三位でした。
団体戦
記憶にあるのは、中1 市大会3位そのあと記憶なし。たぶん東海大会行っています。
中2 記憶なし。たぶん東海大会は行っています。
中3 中体連(学校単位)の市・地区は記憶なし。
水都祭県大会 優勝
県大会は準優勝?
全中予選(この頃は中体連県大会のベスト4でリーグ戦をやって出場校を決めていたと思う)は、最後決勝戦で勝者・勝本数ともに同数となり、代表戦。
代表戦の相手は、同じ道場で、当時道場最強(構えが良い、打ちが良い、面が良い、しかし、試合をすると私が勝つ)だった高野君。
しかし、私は高野君が得意で、彼も私が出てきたら勝てないと思っていた。
当然代表戦は自分が出るものと思っていた。
しかし、先生が告げたのはKくん。
なぜだ?
Kくんというのは中学から始めた子で、運動センスがもの凄く良い子だった。
ただし、勝てないと拗ねるので気分を盛り上げてやるために、私も松葉も学校内の試合練習では、わざと負けてやっていたんだ。
当然、まともにやれば松葉も私もKくんに負けるわけがない。
試合前の学校での試合練習でも同じように負けてやっていた。
先生はそれを真に受けていたんだ。
まさか、こんなところで自分のチームの内部で予期せぬことが起こってしまった。
残念ながら私たちの全国大会の夢は、あっけなく飛んで行ってしまった。
当然Kくんでは、道場最強の高野くんにかなうはずがない。
試合後、
「何で、宮崎が出てこんかったんや? 宮崎なら絶対加点勝ったと思うわ。」
「普段の稽古での芝居がうますぎたんや。」
「何やそれ。」
という会話が交わされたのはいうまでもない。
その後の東海大会で島中学校としての中学時代の試合はおしまいです。
道場の大会で、道場チームで団体戦に出たことがあります。
中3の時です。
たしか、
先鋒 松葉
次鋒 須田(2年)
中堅 宮崎
副将 岡野(2年)
大将 高野
というチームだったと思う。
違ってたらごめん。
中部地区大会です。
結果は優勝。
それも、危ない試合は一つもなかった記憶です。
日本武道館での全国大会は道場で出ています。
たぶん、3回戦ぐらいで負けました。
中学時代の記憶でもう一つ印象に残っているのが、
中1から中2にあがるときの春休みに、道場連盟のイベントで、モーターボート振興会の本栖湖合宿所で、1週間くらい各県からの選抜5名が集まり、講習会に出させてもらったことです。
見事に各県を代表する選手が集まりました。
私たちの部屋にはたまたま、後にインターハイやインカレで大活躍することになる子が一緒で、センスにあふれる強い剣道を見ることができました。
どうやったらそんな打ちができるのか?
当時の私にとっては想像もつかないことでしたが、目の前で見て、実際立ち会い打たれ、どうやるのか教えてもらった良い経験でした。
中学時代の私は剣道が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。