館長の剣道修行(12) 信州大学剣道部 その1 高校剣道引退後の迷い

さて、前回をもちまして高校での剣道修行は終わりです。

今回からは大学での剣道修行になります。

 

ですがその前に、私は受験勉強に励んでいる間、大学に入ったら剣道をやめたいと思っていました。

高三のインターハイ予選での審判ミスによる私の敗戦はとてもショックでした。どんなに努力しても、誤審一つで夢が砕かれてしまう剣道に嫌気がさしていました。

試合から時間がたってもその気持ちは収まらず、「大学では剣道は絶対やらない」という気持ちはどんどん強くなっていきました。

いくらがんばって稽古に励んでも、見る目のない審判の旗の上げ下げだけで、努力を踏みにじられてしまうという剣道の無慈悲さ、打突部位に当たったかどうかも正確に判断できない審判員のレベルの低さ、少し剣道をかじった教員というだけで、ろくに稽古をしていなくても審判に平気で立つ傲慢さ、いろんなことに嫌気がさしていました。

むしろ剣道そのものというより、試合での審判のいい加減さに絶望していたのです。

審判のいい加減さは、今になってわかるのですが、中体連や高体連といった、学校の教員が絡んだ試合で特に顕著です。

 

確かに、実力伯仲した相手との出端狙いからの面と面の勝負を考えたとき、一瞬の差でどちらも面をとらえていた場合、どちらが先に当たったかを見極めるのは大変難しいことです。しかし、誤審も含めてそこに勝負を架けるしかなかった場面でもあります。そこでの、どちらが速いかの論争ではありません。私が言っている争点はそこではありません。

 

例えば、

肩に当たった面で「面あり」。

竹刀に当たっただけの「小手あり」。

竹刀で受けていて面に当たっていなくても「面あり」。

のけぞって顔を上に向けた状態で、面金が真上を向いたところに打った面が「面金だから一本じゃない」。

私が剣道をやめたくなったのは、一瞬の差のきわどい判定ではなく、このような明らかな誤審です。

 

審判が教員でなくても、やはり「しっかりしてくれよ」という場面にはよく出くわします。

 

私事ですが、

六段の時一度だけ出た国体予選。

初太刀、相手の面に対して出端小手。会心の小手。その直後相手が引き面。「面あり」。

二本目。先ほどの出小手があるので相手は小手へ、それに対して私の小手すりあげ面。これも会心の面。その直後相手が引き面。相手の「面あり」。ふた振りで勝って、ふた振りで負け。

挨拶を済ませると相手が走り寄ってきて、「宮崎さん、済みませんでした。出小手もすりあげ面も参りました。」いい人に負けました。気分爽快、機動隊の特練、隊長さんでした。

別の試合で、長身の元上段だったという方と。私がガシガシ遠間から攻め込むので避けるのに必死になっておられました。遠間から攻め相手がのけぞったところへ面。背中を反らしリンボーダンスのように顔を上に向けた所に面でした。試合後、審判の一人が言うには面金だから一本じゃないそうです。

長身の人は良いね、恥じらいが無くて。のけぞってリンボーダンスなんて恥ずかしくて、チビの私にはできんな。

その後膠着。相手が面、私が面すりあげ面か面返し胴だった。当たって無い「面あり。」

面はのけぞったところの面金に当たると面はなく、完璧にすり上げたり、返すと当たって無くても雰囲気で「面あり。」

 

 

私は七段になって一度だけ試合に出ましたが、それを最後に試合からは遠ざかっています。

七段をとってすぐだったと思います。岐阜県の東西対抗試合に選手としてお声がかかりました。その大会でのことです。お相手も新七段。私と年齢が近い方でした。

主審、教士八段。副審ベテランの教士七段。

一本目。私が面を打とうとするところ、相手が小手を打ってきました。しかし、小手には届かず空振り、左手の子指に当たりました。「小手あり。」

二本目。今度は相手が担いだようなところで、私が出端面。よし面いけた。相手は担いだ形から面抜き胴になっていましたが、私の面が先に当たっていました。「胴あり。」

このときもお相手が挨拶の後すぐ駆け寄って来られて、謝られました。

やはり、完全に打たれ負けた試合で、審判の誤審により2-0勝ちではあまりに恥ずかしかったのでしょう。

 

しかし、お相手は二本勝ちで優秀選手賞。彼を優秀選手に選考したのは別の教士八段の先生。審判講習でよく講師をされ「そんなんじゃだめだ。」といっておられます。主審を務められた先生と同じく、顔の正面に「節穴を二つ」付けておられます。

県の剣道連盟のH.P.に二本目の胴の場面の動画がアップされました。友人から、「あれおまえの面やな。」。剣道連盟に「二本目だけでなく、一本目の小手もアップしてください。」とお願いしましたが、さすがに左小手の指に当たった場面をアップするわけにはいかなかったようです。さらに、二本目の胴の場面も削除されました。

他の人の一本の場面の動画はすべてアップされているのに、私の試合だけ動画がないのは不自然ですね。しかもお相手が優秀選手なのに・・・。みんなが認めた誤審をなかったことにしたわけでしょう。

 

 

数年前、岐阜県段別選手権での審判をしていたときのことです。この試合は審判はすべて七段以上ということになっているので、未熟な方が審判をやっていたわけではありません。

中学女子の試合でした。私は副審。

一方が打ったあと足が滑って膝と手を床につく場面がありました。一方が倒れた場面では相手がすぐに一本技を出すのを確認して「やめ」をかけます。

このときも直後の技をみるために間を置きました。そうしたら打つわけではなく、ライン際だったので、押して場外に出してしまいました。

「やめ」がかかり私以外の2人は、場外反則の表示。私は「合議」をかけました。

倒れてすぐの打ちを待ったのはルール通り。しかしそれは「打突」を見極めるためで、押し出しを待つためではなく、打ちがない時点で「やめ」をかける。ましてや、押し出しは禁止事項で明らかに打突せず押し出しただけ。むしろ反則は押し出した方だ。

私の主張は否定され、根拠はわからないが、倒れた方が倒れたまま押し出され「場外反則」になってしまった。信じられないが本当にあったお話です。しかも、主審をされていた方は、この日模範演武で形を打たれたベテランの七段です。一体何を考えてやっているのか、頭を開けてみてみたいと思いました。

 

さて、岐阜市の場合、中体連主催の夏の大会では、市大会→地区大会→県大会→東海大会→全国大会、と駒を進めます。市大会・地区大会は審判の出来る教員の人数が限られていますので、県剣道連盟の地元支部に依頼し六段以上の先生がたや、県警機動隊から剣道特練の面々、大学から学生の中でそれなりの技量の持ち主にお願いして数の確保をします。

ですが、県大会になると教員の中の有段者で審判の人数が確保できるので、剣連や警察・大学からは審判が出ません。

それはそれで良いのですが、教員の有段者の中には、大学まで剣道をやっていて、教員になってからも、部活で稽古を積み、また地元の道場や剣友会などでも稽古を続けている方もいらっしゃれば、中学時代に二段を取得、高校・大学では剣道部に入らず、教員になってから部活で剣道再開したが、部員より弱い方などもいらっしゃいます。

県大会ではこのようにレベルの差の激しい方が審判を行います。東海大会では少しだけレベルは上がるような感じですが、基本的には三~四段以上ぐらいでしょう。

実際、審判講習などで審判する姿をうかがっていますと、二段~五段まで位の方ですと、やはり稽古量豊富な方・剣道がうまく試合慣れしている方はみるべきところがわかっている感じですが、そうではない方の方が圧倒的に多く、ルールもよくわかっておられない感じです。

しかも問題なのは、こういった講習会に教員の先生方はほとんどいらっしゃらないということです。

ご自分の技術無く、見る目も無く、稽古量無く、自分の剣道を審判を少しでも良くしようと講習会等にも参加する気もないという、最低の状態です。

剣道連盟主催の講習会は出られなくても、学校剣道連盟の講習会には出ておられるだろうと思い、過去に一度だけ学剣連主催の剣道講習会(私も岐山高校の非常勤講師なので)に参加しましたが、参加者の少なさに愕然としました。

つまり、「どこでも剣道・審判法について学んでおられない」のでした。

そんな方々が審判をする大会に、中学生・高校生たちは、血と汗を流し必死で努力してなんとか全国大会にと夢を追っているのです。それに対し、応えられる運営側では無いのです。

学生たちの純粋な剣道にかける情熱を、教員達の驕りがぶちこわしていると言っても過言ではないと思います。お願いですから、ちゃんとした審判を頼みます。

 

 

話が大幅にそれて、教員の先生に対する審判批判になってしまいました。

さて、そんなことで大学で剣道を続ける気持ちは無くなってしまいました。

 

受験勉強の合間に息抜きに読んだ本が、塩田剛三さんについて書かれた合気道の本で、少し合気道に興味がわき、入門書を買ってきてひとりで練習していました。

 

さた、大学は長野県にある信州大学に進学しました。

私立大学の受験では法学部ばかり受けたのですが、無謀な挑戦だといわれるところが多く、思うところに合格できませんでした。唯一国立だけ自分の得意な小論文のみで受験できるという、この大学に勝負をかけていました。

 

私たちの頃は今のセンター入試ではありませんでした。

共通一次試験の三期生でした。

 

その前は、国立大学は日程により一期校・二期校に分かれていて、国立大学を二度受験することが出来ました。いまでも前期日程・後期日程という制度があると思いますが、一期二期は同じ大学をもう一度受験することは出来ませんでした。

共通一次試験は、国立大学受験者全員が受けることが義務づけられていて、それが受験に加味されました。

共通一次の取り扱いは各校まちまちでした。

二次試験の結果に加え一次試験の成績も加点するところ、共通一次は足切りにだけ用い、二次試験以降は全く加味しない学校など、それぞれの特色を生かしていました。

信州大学経済学部は共通一次試験は足切りのみに使われました。私たちの年は競争率が6.9倍で、足切りの倍率が7倍だったので、実際には共通一次の点数によって足切りされたものはいません。

私は得意科目が極端で、国語は学年順位が5番以内。政治経済・倫理社会が1番か2番。英語がおしりから2番。文系としては致命的に英語が苦手でした。

二次試験で英語がなく、共通一次の扱いが二次に影響なく、国語と政経・倫社で勝負できる大学は、信州大学しかありませんでした。

信州大学は、共通一次は7倍の足切りにのみ使用し、二次試験科目は小論文のみ。

私にとっては理想的な受験となりました。弱点は評価対象にならず、得意技だけで勝負できる。

 

信州松本で私の大学生生活が始まりました。