中学校に入って剣道部での稽古について書いています。
同級生に「松葉」というライバルがいて、部活で稽古していると、時々とっくみあいになってしまうほど負けん気がお互い強く、意地を張り合っているが一番の友でした。
先生はとにかくいつも部活にいる。
研究授業でほかの部が休みの日でも、
「今更僕は研究して勉強する必要はないからいかない。」
職員会議があってほかの部活は活動できなくても、
「僕は職員会議は関係ないからいかない。」
だから、部活の休みはない。
そんな生活を送っていました。
さて、中学時代の私の剣道についてです。
私はどんな剣道をしていたのか?
どんなタイプだったのか?
小学校六年で雙柳館淺川道場に入ってから、私の剣道は大きく変わりました。
雙柳館に入る前は、お互い構えあったところからごまかしながら鍔迫り合いになり、引き面か引き胴を狙う剣道でした。
雙柳館に入ってから変わったこと。
1,足捌きが速くなった。
2,小手が打てるようになった(一足一刀からのせめて小手、出小手、担ぎ小手)
以前からの技に磨きをかけたこと
1,引き面がパワーアップした。
2,引き胴がパワーアップした。
中学になって変わったこと
1,面抜き胴、面返し胴が打てるようになった。
2,小手面が速くなった。
3,体力がついた。
1年生の夏の大会が始まる頃には自分でも強くなったという実感がありました。
何より足捌きに自信が持てるようになったことが大きく剣道を変えました。
苦手だった踏み込みが全く気にならなくなり、面もある程度速くなったのですが、まだ松葉なんかには面で勝負はできません。
道場にはほかにも、身長があり攻めが強く面打ちの速い同級生が大勢いて、私の身長でいくら速くなっても上から先に乗られてしまいます。
ですから私は構えあってじっと攻めて面で勝負ということは避けていました。
捨て技で「速い面があるぞ」と、絶対応じ技ができないタイミングで当たらない面を見せておいて、別の技を仕掛けることはしました。
一足一刀の間から面で勝負はしません。
ふりだけ。
面で勝負と見せておいてほかで討ち取る。
難しい表現なしで簡単に言うと、
私の剣道は、
蝕刃の間から一足一刀の間へ入るとき、入り際の出端を打たれないようにして、そのまま、あるいは間を置いて、渡って間を入っていき、あとは連打で打って打って打ちまくる剣道です。
団体戦は長くても3分、掛かり稽古で限界まで追い込んだ稽古をしているので、細切れの連打なら3分間では体力がきれることはありません。
思い返してみても3分間フルに攻め続けることはなかったと思います。
たいてい速い時間帯で1本とれるので、1本とったあとは攻めて打つぞというふりをしていると、相手の方から仕掛けてくるので、面に来るなら出小手や抜き胴・返し胴、面すりあげ小手、よけておいての引き胴、引き面、小手に来るなら、小手打ち落とし面、小手すりあげ面、小手すりあげ小手、小手返し面等、応じ技のバリエーションも増えていたので、楽にもう一本とれました。
正統派のしっかりした構えで中心をせめて面を狙う、強いタイプはむしろ得意でした。
雙柳館にもそういうタイプの本当に強い同級生がいましたが、私は負けたことがありませんでした。
松葉はそこまで構えもしっかりではありませんでしたが、とにかく面と小手面が速く、出小手も得意で遠間からの勝負ができるタイプでした。
松葉は私といつも稽古で死闘しているので、私の連打や応じ技のスピードに慣れ隙がなくなってきて、なかなか私も簡単には打てなくなっていました。
私の方も遠間からの速い打ちにだんだん慣れてきて、少々の面のスピード自慢なら、松葉に比べれば屁のカッパだと思えるようになっていました。
中学で出た試合は今では1試合覚えているだけですが、それは中学に入って初めて出た市大会でした。
市大会の準決勝だったと思います。
私のチームは、先鋒に松葉、次鋒3年生、中堅高橋、副将3年生、大将宮崎という編成でした。
相手チームは同じ雙柳館の3年生の先輩が2人入っているチームでした。
たしか、1年2人勝って3年が2人負け2-2の大将戦になり、相手は当然道場の先輩ですが、1本とられ負けてしまいました。
松葉にはおまえのせいで負けたといわれましたが、確かに自分のせいなので、あの先輩だからといいわけもしましたが、う~ん今回は参った、という感じでした。
俺は強いと思って頭に乗っていたところの、鼻っ柱を思いっきり殴られたような気がしたことを覚えています。
これが良い薬になって、また稽古に打ち込みます。
つづきます。