館長の剣道修行(4) 中学剣道部 その1 限界までやる

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館長の剣道修行(4)

宮崎少年、中学生になりました。

中学生になった私は、小学生と一緒に稽古することはなくなりました。

週1回土曜日、小学生の稽古終了後が中学生の時間です。
大勢いた小学生の頃の道場の同級生は、道場チームの試合のメンバーになれなかったものの多くが道場をやめて、部活でも剣道を続けるわけではなく、剣道から離れていきました。

中学では別の競技で自分の力を試してみたいと考えたのでしょう。

私にとっては、剣道が、道場も中学での部活も楽しくて仕方のないものでした。
島中学校は当時、小学生だけで通える道場が近くになかったので、剣道部の先輩に剣道の小学校からの経験者が少なく、雙柳館の同級生たちには、
「おまえの中学は毎年1回戦5-0負けやぞ。」
などといわれてバカにされました。
が、これは裏を返せば私たちが島中学校の剣道部では一番強いということになります。

しかも、私を含めて3人雙柳館から入っていたので、心強かったものです。
8月の土用稽古の試合での優勝者(松葉という)、3位の私、ベスト8(高橋という)。
ほかの同級生たちは中学校がばらばらになるので、3人集まった私たちは相当強いはずです。
なぜかはわからないけど、自分たちは強いと思い込んでいて、強いと思うし、もっと強くなりたいからきつくても稽古をする、稽古をするともっとどんどん強くなると思い込んでいたので楽しい、楽しいから稽古をさらに一生懸命やる。

そんな善循環がおこっていました。

顧問はまだ若い元気がある、高橋という先生。
そして、前任校で全国大会に連れて行った経験のある清水薫先生が島中に赴任されました。

私も松葉もなぜか剣道はもちろん何をやるにしても、根拠のない自信があって、1年生に入ったばかりなのに、市大会なんかはいきなり上位にあがれると思い込んでいました。

松葉と私は小学校の頃からライバル視しあっていて、剣道では絶対こいつにだけは参ったといいたくないと、毎日の部活の稽古も週一回の道場でも意地を張り合っていました。

いつだったか稽古をしていて、小手が肘に外れたことがきっかけで、だんだんワザと防具のないところを狙って打ち合うようになり、鍔迫り合いからとっくみあいになり、小手を外し、面がとれ、胴が外れ、柔道部の畳の上で袈裟固めと髪の毛のむしりあいにエスカレートしたことがありました。

さらに、決着をつけようと道場で果たし合いもしました。

しかし、殺し合いになるわけでもなし、お互い必死の試合のような稽古を1時間以上やってふらふらになって、あまりに帰りが遅いので心配になって様子を見に来た家族に止められたおかげで、

「仕方がないで、許したるわ。」

かなんかで持ち越しになったような・・・。

はっきりとは覚えておりません。
清水先生はそんな私たちを無視して、ほかの部員たちと稽古をしていた記憶があります。

高橋先生は普通の先生で、研究授業があったり職員会議があると部活に来ませんでした。

普通は、顧問がいなければ部活はできませんでしたので部活はお休みとなるのでしょうが、しかし、清水先生は別格でした。

「僕は今更研究授業で勉強しなくてもいいからいかない。職員会議は僕は関係ないから部活に出る。」

授業では(社会の先生)話を聞いていると眠くなって、思わず眠たくなってこくりこくりしたものですが、

「宮崎君は部活があるから寝ててもいい。ほかにも眠たくて寝たい子は勝手に寝てなさい。その代わりテストだけはがんばるように」

とクラスの子たちにお構いなしでどんどんマイペースで授業を進めていってしまいます。

とにかく部活のために学校に来ているような先生でした。

研究授業だろうが、職員会議だろうが、体育祭だろうが、文化祭だろうが、何があっても、ほかの部活が全部休みでも、放課後、剣道部だけはちゃんと部活がある。

剣道は初段を持っておられたようですが、強いわけではなく、私や松葉、高橋は勝ってしまいました。

手加減をして打たせたわけではなく、本当に打たれてしまうらしいです。

私たちが2年生になった頃には、

「レギュラークラスは宮崎君が指揮を執って全部やれ、僕は初心者だけ教える。」

増え始めた初心者の剣道部員たちを全部引き受けてくださり、道場で覚えてきた稽古を自分の限界まで毎日できたのは、先生が私たちを認めてくださり、信じてくださり、任せてくださったおかげでした。

このころ、私が稽古の指揮を執るときいつも心がけていたことは、

「自分の限界までやる。」

これを徹底しました。

時には度が過ぎて松葉ととっくみあいになり、清水先生に止められましたが、剣道に夢中になるあまりで、松葉といがみ合ったり、嫌いあっていたわけではなく、向こうの気持ちはわかりませんが、わたしにとっては、唯一無二の心からわかり合える一番の友でした。

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