信州大学経済学部経済学科に入学しました。必死で受験勉強をしたというほどやったわけではありませんでしたが、国立大学にもぐり込みました。
剣道部入部は入学当初はきめていなくて、合気道部に入ろうと思っていました。
剣道部で同じだった高校の同級生が同じ学部にいたので心強く、高校時代はそんなに仲が良かったわけではありませんが、ひとり暮らしを始めてから頼りにしていました。彼は松田といいますが、色々とお世話になりました。
入学してしばらくは、授業の説明や部活のガイダンスがありました。気になっていた合気道部のガイダンスがあったので、剣道部のガイダンスより先に合気道部をのぞきました。
教室での説明から体育館の柔道場に移り、実技体験になりました。私は本で読んだだけですが、基本動作や基本技を一通りひとりでやって練習していました。
「誰かやってみたい人はいませんか?」
の問いかけに、
「はいはい。」
と調子に乗って前に出ました。
畳の上に腹ばいになり、関節を決められ立ち上がれなくなるという筋書きだったと思います。
私の手首はとてもやわらかく、しかもギリギリ決めさせなくて、たぶん部員の方も痛い事しないようにという配慮があったと思うのですが、なんなく、立ち上がってしまいました。
立ったままで、やはり肘と手首を決め伸ばせませんよというパフォーマンスでも、難なく伸ばしてしまいました。やはり、部員の方の痛くしないようにという配慮が大きかったのだと思いますが、私の本でかじっただけの合気道の方が上のような気がして、申し訳なく思いました。
部員の方は、自分たちは2年の初心者で4年の先輩ならそんなことはないと弁明していましたが、私はかなりがっかりしました。
合気道部のふがいなさを見て、剣道部のガイダンスに行くかどうか迷っていたとき、松田君が誘ってくれて、ついて行きました。
30年以上前のことなのでもう時効だと思いますからお話します。今は学生の飲酒には厳しい大学がほとんどだと思いますが、この頃はまだ大学生の飲酒は黙認されていたような所がありました。剣道部のガイダンスは教室での説明会の後、お花見と称して、梅の咲き誇る(桜はまだ先)公園に繰り出し、コンパを始めました。
コンパに行くと、すでに顧問の先生や上級生が私のことを知っていて、
「君が宮崎君か、これから一緒にやろう。」
等と声をかけられました。
なんでだろう?
なぜ私のことをみんなが知っているのだろう?
そんなことを考えていると、顧問の折口築先生が種明かしをしてくださいました。
私の高校の恩師、大杉二郎先生は東京教育大学の出身で、信州大学剣道部の折口先生は後輩に当たり、自分の教え子が大学で世話になるからよろしく頼むと手紙を出してくださっていたそうです。
ですから、折口先生は先輩達に私のことを話して歓迎してくださったのです。
私は調子に乗って痛飲し、下宿の鍵を落としてしまい、初めてのひとり暮らしで部屋に入れなくなってしまい、困った記憶があります。
このコンパがきっかけで、もう合気道やほかのスポーツに心を奪われることなく、剣道に打ち込もうと決めました。
大学で剣道を続けるかどうか迷いましたが、ほかの武道も試してみて、やはり剣道が好きだと心の底から思えました。
剣道部に入部しました。