誠裕館道場、館長の宮崎です。
前回に続きまして、私(館長)の剣道修行その2です。
私の小学校の頃の剣道修行について書いています。
早田小学校の剣道教室から雙柳館淺川道場に移り、単なる片足跳躍をやっただけで足がふらふらになってしまい、自分の足のふがいなさに愕然としたところからです。
早田小学校の頃の先生から、剣道は一眼二足三胆四力だ、という言葉を聞いていまして、これは剣道をする上で大切な順番だと教わっていました。
一番大切なのは、目。
相手と向き合った時観ること、またそこから相手の動きをよむこと。
「遠山の目付」といわれるように、一点を注視するのではなくて、剣道では相手全体を眺めるように観ること。
観の目ですね。
二番目に大切なのは、足。
送り足(すり足)、踏み込み足、開き足、
剣道では、自分が自由に動き技を出すためには足捌きが自在にできなければいけない。
三番目に大切なのは、胆。
胆力、度胸のこと。
剣道は動きたい気持ちを我慢し、ここぞというときに決断し打ち切る。
ものに動ぜぬ心と思い切りが大切。
四番目に大切なのは、力。
力は体力・腕力ではなくて技術・技のこと。
最後、四番目が技・テクニックだというところが、いかにも武道らしいと思います。
早田の剣道教室の中では、私はそれなりに同級生に勝てるようになっていたので、雙柳館でもそれなりに通用するのでは・・・、と思っていたのに、こんな簡単な片足跳躍ですぐふらふらになってしまうなんて。
おそらく雙柳館の子たちはみんな、こんなことは簡単にこなしてしまうのだろうな。
だから強いんだ。
雙柳館淺川道場は当時、岐阜市内の剣道大会では個人戦の上位は総なめ。
団体戦も優勝。
県大会でもいつも優勝候補。
そんな道場でした。
7月の全国大会は前の剣道教室で出場して、東京から帰ってきてから道場を移りました。
8月は雙柳館ではちょうど土用稽古(土用鰻の土用です)という集中稽古があり、この期間は一週間毎日稽古がありました。
確か岐阜農林高校の体育館をお借りしていたと思います。
技術レベルに応じて稽古時間が区切ってあり、移籍したばかりの私たちはまずは初心者クラスでした。
初心者クラスはまずは跳躍。
ひたすら跳躍。
その場跳躍、片足跳躍、踏み替え跳躍。
そして基本打ち。
足捌きと基本打ちを集中的におさらいできたのは、とても自分のためになりました。
土用稽古の最終日には学年ごとの試合がありました。
同学年に何人いたのか全く覚えていませんが、雙柳館には小学生が全部で200人以上いたと記憶しています。
市民剣道大会などの個人戦では、私は3回戦までいくのが精一杯。
雙柳館の子にはいつも負けていました。
初心者クラスで一週間やっただけでは、稽古の時間帯が違うので熟練クラスとは会いません。
最終日の大会で初めて同級生たちと顔を合わせました。
知っている子はいないかなあと探してみても、
試合では見たことがあるけどという子がいるけれど、同じ小学校の子はいません。
初めて顔を合わせた同級生たちは、私のことを何だか値踏みをするような顔つきで、
こいつだれだ?
という雰囲気でした。
私は土用稽古では初心者クラスで、もっぱら足捌きや基本技の打ち込みを主体で稽古していたので、互角稽古はやっていませんでした。
試合形式は雙柳館に来てから、この学年別試合が初めてでした。
試合が始まってみると、足捌きと基本打ちを徹底的に絞られたので自分でびっくりするほど、以前より技に切れがあります。
足捌きがよくなったのでスピードがつきました。
何回勝ったのかは覚えていませんが、準決勝まで来ました。
準決勝の相手は見覚えがありまあした。
市大会で3位に入っていた子で、延長戦までもつれ込みましたが力尽きました。
しかし、まさかの三位入賞にはわれながらびっくり。
足捌きと基本打ちの大切さはこのとき身にしみて感じ、今でも指導方針の柱です。
土用稽古が終わると夏休みの宿題の追い上げのために、8月いっぱいはお休みだったと思います。
9月からは通常の稽古になりました。
月・水・金の週3回、夜の7時頃から1時間稽古があります。
道場に始めていったときはびっくりしました。
道場の場所は牛乳屋さんの工場の屋上にありました。
狭い外階段を2階建ての工場の屋上まで上っていきます。
すれ違いができないほど狭い階段でした。
この階段の上で、まさか200人以上の人間が、
剣道をやっているとはとても信じられませんでした。
広さも、誠裕館道場の三分の二はなかったように思います。
誠裕館は道場の板張り部分がおよそ、9m×21mほど。
狭いコートがぎりぎり二面とれます。
以前は岐阜支部の昇級審査をやったことがありました。
当時まだ市営の体育館などがなかったので、利用したのだと思います。
さて、話を戻します。
雙柳館淺川道場は岐阜市内の西問屋町というところにありました。
岐阜の駅前の繊維問屋街の外れの方です。
以前の早田の剣道教室よりも遠くなりました。
しかし、バスが運行しているので却って私たちにとっては便利でした。
祖父や祖母に送迎してもらわなくても、
防具を担いでバスに乗ってしまえば運転手さんも覚えていてくれるので、
子供なので眠ってしまうことがあっても、ちゃんと起こしてくれました。
帰りは私か栗本の父が車で迎えに来てくれました。
今時の剣道少年たちは、道場へは同じ小学校の校区でも車での送迎が当たり前です。
むしろ、それだけ物騒な世の中になったのでしょうか?